牧師とファッション

7月もあっという間に終わりますね。今月も本当にいろんな事がありましたが、自分のことを振り返る機会が多くありました。

よく、「何で牧師になったんですか?」と言われます。そりゃあそうだ(笑)。

答えは、表現が適切ではないと思うんですが、あえて言うなら「愛してしまったから」となるでしょうか。

最初は、自分の人生のことを知りたくて、御言葉を学ぶようになったんです。

そこから「神様」という存在を知るようになりました。それでもまだしばらくは、「自分の人生を成功させるために」神様のことを学んでいたんですね。

そして、学びながら実際に自分で行動して人生を生きていくとき、「神様のことを深く」知るようになったんです。目には見えない。でも、なんて愛すべき方なんだ。これに気づきました。

「神様」のことを深く知るようになったら、だんだんと神様のことを考えて、神様の考えを持って生きるようになりました。

そうすると、切っても切れないと言いますか、情と言いますか、だんだん「愛する」という気持ちになっていったんですね。

そうしてまたしばらく生きていくうちに、愛したら、愛する人が願うことをしたいと思うようになりました。

それが、具体的には「教会で働く」ということだったのです。それは「教会でお給料をもらって働く」ということではなく、教会で必要なことを責任を持ってする、ということです。

教会には沢山の人が集まってくるから、人と人が何かをすれば、誰かがしないといけないことが発生するわけです。正直なところ、お金にならないことが多いです(笑)。

自分も仕事をしているし、自分の生活はあるから、出来るなら面倒なことはしたくない。でも、誰かはしないと皆が困る。もっと困るのは、神様がもっと困る。

自分は神様を愛している。愛している人が困っている。じゃあどうする?それは絶対にやるでしょう。

ということで、教会で働く、ということをするようになったわけです。

教会は何で運営するのか?愛と真理です。

食堂は美味しいご飯を提供する。居酒屋は美味しいお酒や皆が集える空間を提供する。会社は仕事やお金を提供する。

教会は、愛と真理が提供できないと人は来ませんし、運営が出来ないのです。

それで、愛と真理を本気で勉強するようになりました。その結果、神様に牧師にさせて頂いたということです。

子供の頃、私の母は関東の人間で、田舎の小さな町に馴染んでいなそうでしたから、母に何でこんな田舎に住んでいるのかを聞いたことがあります。そうしたら「お父さんと一緒になったからだよ」と答えが帰ってきました。そういうものなのかな、と思いましたが、今になってよく意味が分かります。

別にそこに住もうと思っていなかったけれど、愛する人の住む街に一緒に住むうちにその街が自分の街になり、好きになる。

自分は興味も関心もなく、やりたくない仕事だったかも知れないけど、愛する人がやっていて、望んでいるからちょっと助けているうちに、自分もその仕事の価値がわかって情熱を注ぐようになる。

そんなことは、世の中を見てみるとたくさんあると思います。

私も「牧師になること」が目的でも目標でもなく、「神様を愛してしまったから」神様が願うことをしているうちに、そのような人生になったということです。

今は、本当に感謝をしながら、この仕事をさせていただいています。

「牧師をしてなかったら何をしていますか?」ともよく聞かれますが、この人生しか、自分はなかったなと思います。

これからは?

もちろん分かりません。神様を愛する人になったから、神様がその時の自分に願うことを、喜びでやっていく人になっていきたいと思います。

私の人生で一番幸せなこと。それは、神様を愛するようになったことです。一生、そして永遠に愛しても大丈夫な存在を見つけたこと。このことに感謝し、忘れないでこれからも生きていきたいと思います。

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