父の背中

6月21日は父の日。私たちの教会ではオンラインでイベントを行ないましたが、50~70代のお父様が多数参加して下さいました。参加してくださった皆様、運営してくださった方々、ありがとうございました。

お父さんたちが駆け抜けて来られた時代は、昭和から平成、そして令和へ。まさに激動、社会が激変する時代でした。

年功序列・終身雇用の社会から、転職は当たり前・早期退職を求められる社会へ。

書類・はんこ中心の社会から、パソコン・データ中心の社会へ。

上司が絶対の時代から、部下のメンタルケアを常に気にしなければならない時代へ。

マイカー・マイホームを夢見て頑張った時代から、カーシェア・シェアハウスを手軽に利用する時代へ。

月末は現金で給料を持って帰り家族に感謝される時代から、銀行振込によりお父さんの権威が落ちる・キャッシュレス決済の時代へ。

物知りお父さんが重用される時代から、スマホで何でも調べて「お父さんスマホ買って黙ってて」と言われる時代へ。

退職後に年金をもらい老後を楽しむ時代から、老老介護が必要になり年金もどんどん減る時代へ。

もし先にこれから起こる変化を告げられて「乗り越えてね」と言われたら、「え!?」と誰もが躊躇するような、時代の変化ではないでしょうか。もちろん、「対応するしかなかった」というお父さん方の答えが返ってきそうですが、今改めてすごい時代を生き抜いてこられたと感じます。

環境の変化に対応するだけでも大変な中、家族のため、会社のため、社会のために頑張ってきてくださったお父さんたちがいたからこそ、豊かで、安全な今の社会があると思います。改めて、お父さんたちに伝えたい言葉は、「本当にありがとう」です。

私が自分の父を、「親父」と呼ぶようになったのは、中学生の頃でした。同じ時期、「お母さん」から「おかん」に変わって母はとても嫌がっていたそうですが、父は密かに照れながら喜んでいた、と母が言っていました。

父のことは本当に大好きで、とても尊敬しています。自分も父親になってみて思うことは、父はいろんなことを分かっていた上で、じっと我慢し、見守って、支えてくれていたんだなということです。自分の浅はかさ、至らなさ、愚かさを恥ずかしく思うことも沢山ありますが、父と自分の経緯を振り返ると、自分もそのように子供や周りの人に接して生きようという大きな心を持つことが出来ます。

私は高校や大学の頃、父とお酒を飲むことを楽しみにしていた時期がありました。世の多くのお父さんと同じように、父もそうだったでしょう。

息子にとって父親というのはあまりにも大きな存在であり、一方で超えていくべき存在でもあり、素直に正面から話すことは照れくさく、難しかったりします。だからこそ、お酒の力を借りて、父と本音で話す時間を持ちたい、そう思うのでしょうか笑。

私はその後お酒を止めたんですが、父と食事に行ったとき「飲むか」と言われ、「あ、俺、酒止めたんだよ」と言ったときの、父の残念そうな顔は今でも覚えています。

実家を離れ、父と離れて暮らしてからの歳月の方が長くなりました。私が知らない父の人生があり、父が知らない私の人生もあります。

今はお互いに忙しく、また一緒に酒を飲むことは出来ませんが、いつかまた、父と少しでも良いから一対一で、ゆっくり話してみたいなと思います。どんな質問をしてみようか。結局、「最近どうよ?」で終わりそうですが笑。

父も高齢になってきましたから、元気でいてくれていることが何より感謝ですが、元気なうちにそういう機会が早く来るように努力したいと思います。

親の背中を見て、子は育つ。そう言いますが、これまで逃げることなく(ときには逃げたかも知れませんが笑)、正面で荒波や突風を受け止めてくれたお父さんたちがいたから、今の私達がいます。

他人や社会に対してあれこれ批判をしたり、文句を言うことは簡単ですが、自分がその立場だったらどうしていたでしょうか。批判や批評も時には必要ですが、まずその環境の中で精一杯頑張ってきて下さった人がいることを知ろうと心掛けることや、感謝する心を忘れてはいけないと思います。

これまで頑張ってきて下さったお父さん方の健康と、これからのご活躍を心から願っています。

私の父もそうですが、多くの日本のお父さんたちと、酒は飲まずも、牛乳でも飲みながら胸襟を開いてゆっくり話してみたい。

そう思い、願った父の日でした。

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