今から10年以上前、2005年の暮れ頃だったでしょうか。仕事での移動中、新橋駅の公衆トイレに入ったときのことです。
「お父さん、外で待ってるわよ」「うん」
そんな夫婦の会話が聞こえたあと、見覚えが有り、親近感のある初老の男性が入ってこられました。
手に下げた大きな紙袋とバックを前の棚に置くと、男性は私の隣で用を足しながら、上を向いて「ふうー」っと大きくため息を付きました。
親戚のおじさんのような、妙に親しみのある方だったのですが、誰なのかパッと思い出せず、「取引先の方だったかな」と記憶をたどりながら、同じタイミングでトイレの外に出ると、男性を待っておられたご婦人の姿を目にして、ようやくわかりました。
拉致問題解決のため、最前線で頑張っておられた、横田滋さんでした。
「あ!」と思ったときには、ご夫婦は先を急ぐかのように、足早にお昼の新橋駅の雑踏の中に消えていかれました。
ほんの15秒ほどのことだったのですが、今でも強烈に印象に残っています。
当時の私は将来の事を考えながらも、目の前の自分の仕事や生活で手一杯で、疲労困憊でした。
「今日はどんなご飯を食べようか」「次の給料日にはどんな服を買おうか」といったことを考えるのが、移動時間のちょっとした気分転換でした。
そんな中、私よりも年配で力も弱っておられたけれども、目的地に向かって懸命に進んで行かれる横田さんの小さな背中が、私に言葉にはならない何かを語りかけてくれました。
「頑張ってください」の一言も言えず、それすらの力にもなれなかった自分にも不甲斐なさを感じましたが、非常に身勝手ではありますが、画面越しに見ていた方と15秒だけ一緒に過ごすだけですごく近く感じられ、その後の拉致問題のニュースは一層他人事に思えなくなりました。
その後、このときの光景がたびたび脳裏に浮かび、どう解決すれば良いのか分からない問題に対して、全力でぶつかっていかれる横田さんの姿を思い出し、「自分もいたずらに時を過ごし、変化の時を待ってばかりではいけない。問題意識を持って生きなければならない」と決心をしたことを覚えています。
横田滋さんがお亡くなりになったというニュースを聞きました。
娘さんとの再会を待ち望み、娘さんを助け出すため、その他の拉致被害者の方々のためにも立ち上がって、個人の力ではどうしようもないような大きな大きな問題に全力で取り組まれた人生は、私などには計り知れない相当のご苦労がお有りだったと思います。
奥様、ご家族の方々のご健康、この問題の解決と共に、横田滋さんの安らかなお眠りをお祈り申し上げます。
私達が生きていく時、解決しなければならない問題は、本当に数多くあります。
私達は今も様々な問題に直面していますが、これからどんな問題に直面し、何のために闘い、生きていくのか。
これは私達の考えではとてもわかりません。
これまでも多くの方々が、その人生を平和のために、自由のために、捧げてこられて今日の社会があります。
たしかに問題は多いかもしれませんが、それでも過去に比べれば、良い時代に私たちは生まれました。
今の価値を知り、安逸に過ごしてはいけません。
先人たちや、不遇の状況の中でも闘っていらっしゃる方々への尊敬の心を忘れず、今与えられていることへの感謝を抱いて、しっかりとした問題意識を持って生きていきたいものです。
これから1人でも多くの尊い命がきちんと守られ、真の自由と平和が守られる社会になることを、切に願ってやみません。
自分の力ではなく、偶然のようにこの時代に、この場所で、世に生を得たからこそ、自分がぶつかっていくべき問題・課題に対して、全力で挑み、努力をしていきたい。
私たちのあとにも続いていく世界のために、今我々の取るべき行動責任をしっかりとっていきたい。
改めてそう思わせて下さった、新橋駅での15秒間でした。