母の日や父の日など、1年の中にはいろんな日がありますが、お隣の国、韓国では5月15日は「恩師の日」なのだそうです。
儒教思想が根付いていて、年上の人や師と呼ぶ人への恩を大切にする国柄もあるかと思いますが、日本にはあまり馴染みのない習慣ですが、素敵な文化だなと思います。
そもそも「恩師」と呼べる人と出会えることは、とても幸せなことだと思います。
学校の先生をはじめ、学問、スポーツの技術、ピアノの演奏、絵の描き方、仕事の業務、さまざまなことを教えてくれる人がいて、現在の私達がいます。
しかし、知識やテクニックだけではなく、大事な「人生」や「生き方」を教えてくれる人には、なかなか出会えるものではありません。
私も人生の中で、生き方を教えてもらった方がやはり何人かいますが、その方々から学んだことは、単なる処世術のようなものだけではなく、「ああ、このように生きるべきなのか」と感じるような深いものでした。
その方々に共通していたことは、言葉ではなく「行ない」で見せてくれたことです。そして、行ないの中で発せられる「一言」が深く心に刻まれるのです。
私が大学生の頃、自分の人生の道が分からなくなっていた時、真理を探して自己啓発本を読んだり、飛び込みで近くの教会に幾つか行ったりしてみましたが、これと言って答えとなる話もありませんでした。
そんな中で、恩師となる牧師先生と出会い、初めて説教を聞きにいきましたが、そのときの説教のタイトルがこれでした。「将来を考えて生きなさい」。
何度も聞いてきた話でしたし、いつも考えていたことなので、新鮮味は全く無かったのですが、耳を傾けて聞いてみると自分が考えていた『将来』とは全然違う話をされていました。
もう20年近く前のことですから、詳細は覚えていないのですが、話の内容は、
「人間はいつか死ぬ。そのときには終わりではなく、続く存在があって、自分が行なった通りの次元で次の世界に行き、生きるようになるからしっかりと人生を生きなければならない。」
というようなものでした。
2~3年先、遠くても10年後くらいの視野で生きていた私にとって、自分の人生の終わりの後の話を詳細に、そして理に適った話で納得するように教えて下さった話に衝撃を受けたことを記憶しています。
その牧師先生から続けて学ぶようになりましたが、いつも彼がおっしゃっていたことは、
「人類の真の恩師は、ただ創造主神様だ。そして、神様を正確に教えてくれたイエス様だ。人間は各分野別に教える先生に過ぎない。」
ということでした。
「万物と世の中」よりも先に教えるべきことは、「人生」だ。
この「人生の問題」と「永遠な世界」については、学校で100年間学んでも学べない。
人生を学ぶためには、まず天地と人間を創造なさった神様のことを学ばなければならず、そして人間について学ばなければならない。
「自分の人生」も知らないで、物質と万物、世の中を学ぶから、無知によって自分自身も、万物も世の中も治めることが出来ないのだ。
真の恩師ならば、この肉体を持って生きる人生の目的を教え、地上で生きる間に自分が行なって、祝福を受けられるようにしてあげ、永遠の世界でも天国に行けるようにしてあげなければならない。
このようなことを、私は教会で学んできました。
その時から20年。体重は確実に増加し、ついつい余計な一言が口から出るような年齢になりましたが、今も将来のことを学び考えながら、現実の人生を全力で生きられるようにして下さった神様に心から感謝しています。
弟子は師を超えることは出来ません。一生かけて、神様に挑戦していく人生、神様に近づいていく人生、本当に幸せなものだと感じています。
神様のことを知れば知るほど、同時に素晴らしいものを発見していきます。
2つとない絶景の山々。
広大で人間の悩みなど全部包み込んでくれるような海。
体内時計でもあるかのように季節になると一斉に咲き始める花々。
小さくても精巧に造られている虫たち。
正確に移り変わり、来ては、また去っていく季節や時。
自分が時に合わせて人に出会わせてもらい、いかに愛され守られてきたのか・・・。
神様が造られたものは、すべて美しいです。
真の恩師、神様に近づいていく人生にはきりがありません。
大きな人生を下さったことに感謝し、いつ終わっても「我が人生に一片の悔い無し」と言えるような生き方をしていきたいものです。