2019年も残りわずかとなりました。皆さんにとって、今年はどういう年だったでしょうか?
しっかりと締めくくり、来年はもっと良い年にしたいですね!
皆さんは「運」ってあると思いますか?そういうのを信じない、と言う方もいらっしゃると思いますが、人間の力だけではどうしようもないことがあるのも事実ですよね。
例えば人やチャンスとの出会いなんかはそうですし、スポーツなどでもすごく技術があって将来を期待されていた選手が不運な怪我をして引退を余儀なくされるような場合も、少なくありません。
人間の意思や努力ではどうしようもないことをまとめて「運」と言ってしまったりします。
ちょっと話は変わりますが、実は、私たちの教会の名前には、なんと!「運」が入っているんです!
…あ、ご存知でしたかね(笑)。
「天の運で立てられた教会」というところから由来があるのですが、「運」が良かったんです。本当に。その経緯のお話は、またいつかさせていただきます。
さて、「運」がよくなるためにはどうしたら良いんでしょうか?
そもそも「運」というのは、誰かもっていて、コントロール出来る人がいるでしょうか?
運を持っていて、コントロール出来る人がいるとするならば、それは神様だけですよね。
それならば、神様はどういう人に運をくれるのでしょう。
聖書には、すべての人に雨を降らせ、太陽を昇らせるように、神様は一般的な祝福はすべての人に与えると書いてあります。この人は苦しめよう、この人は祝福してあげよう、とえこひいきをする神様ではありません。
しかし、神様についてもう一言付け加えるならば、神様は石像のように固まっていて感情が一切ない存在ではありません。人間以上に感情豊かな方であり、喜んだり笑ったり、悲しんだり、時には怒ったりもします。
皆さんは、もし誰かにあげられる財産やプレゼントがある場合、誰にあげるでしょうか?
親しくない人に、あげようとするものの価値がわからない人に、苦労して得たものをあげたりしないですよね。価値を分かってくれる人や、それを使ってもっと良いことをしてくれる人にあげると思います。
神様も人間と同じです。自分のことを大事に思い、自分との約束を守ってくれる人に、より大事なものは与えられます。
神様からの特別な祝福があるとするならば、それは「義人」に与えられると言われています。
義人とはどういう人でしょうか。
神様が大事にするものを大事にし、神様の目から見て正しく生きる人のことを言います。
神様を愛して、義なる生き方をする人が義人です。神様が大事にする人々を愛して、大切にする人が義人です。
善人というのは、人の目から見て良い人ですが、人が見えているのは一部分ですし、心までは見えないので、「善人」と言われたり思われたりしている人が、凶悪な犯罪を犯したりすることもあります。
神様の目から見て正しい人は、人が見ていようが見ていまいが、1人でもいつも正しく行ないます。神様はそのような人に、運をくださるということです。
どんなに良くない状況でも、誰も助けてくれないときでも、1人でも「義人」として堂々と生きる人生を歩みたいものです。
そんな時、神様の「運」に自分が必ず乗っているはずです。
ご利益主義的な生き方をして運を待つ人生ではなく、神様が自分を見て「運」を与えたくて仕方がないような運を呼び込む生き方をする人生を歩みたいものです。