こんにちは、時田です(^^)
クリスマスはとても大事な日なので、今日は続編として再びクリスマスに関する記事を書きたいと思います。
ご存知の通り、欧米では祝日のクリスマス。イエス・キリストの誕生を国を挙げてお祝いします。
日本は祝日ではありませんが、雰囲気だけは負けていません。街には美しく楽しげなクリスマスキャロルが流れ、ケーキやチキンといったご馳走が並びますし、クリスマスツリーやイルミネーションを中心とした街の雰囲気が素敵ですよね。クリスマスの本当の意味は分からなくても、その時期は多くの人が心踊らせ、特別な時間を思い思いに過ごします。
私が師事する鄭明析牧師(チョンミョンソク)は韓国の方なのですが、ちなみに韓国も欧米と同じようにクリスマスが国の祝日です。彼が以前来日された際、クリスマスイルミネーションで有名な、日本のある観光地に行かれた時の感想はこういうものでした。
「日本ではどのようにクリスマスを過ごしているのかを見に行ってみたら、一言で言うなら、主人公のいないクリスマスだった。」
誕生日なのに、その日の主役には全く関心を持たず、客人たちだけがただ飲んだり食べたりして過ごしている。主人公はどう思われるだろうか?と。
この話を聞いた時に、クリスマスはそういう日だったのか、と改めて深く知るようになりました。
彼とはそれ以降、何度も一緒にクリスマスを過ごすようになりましたが、毎年毎年、その時に出来る精一杯の努力で、イエス・キリストの誕生をお祝いしていました。
そして教会にイエス・キリストの誕生日をお祝いしに来る人たちを、イエス・キリストの代わりになって愛に溢れた御言葉と、様々なプレゼントや真心で歓迎し、キリストの愛を一生懸命伝えているのを見ました。
その時間を一緒に過ごしたすべての人が、キリストが生まれてきてくれたことに感謝し、そしてキリストの愛で自分が生まれてこれたことを分かって感謝する、幸せな時間を過ごしました。
その牧師は学歴も、お金も、これと言った取り柄もなかった幼少期、本を読みたくても買えないくらい貧しい家庭環境の中で、学校の教科書以外の唯一の本として、村の教会で配っていた聖書を手にするようになります。
小学生には難しい本ですが、繰り返し繰り返し読む中で、自分と同じような境遇の人々がイエス・キリストに会って、劇的に人生を変えたことを知り、自分もイエス・キリストがまた来る時には必ず会いたいと思ったそうです。
しかし、取り柄がない自分の所にイエス・キリストが会いに来てくれる自信がありませんでした。
どうやったら来てくれるだろうか?そう悩んで聖書を読み、祈りながらひらめいたことがありましたが、それが「世界で一番キリストを愛する人になること」でした。
「イエス様は愛が一番大事だと仰ったから、自分のことを本当に愛してくれる人がいると分かったら、イエス様もきっと会いに来てくれるだろう」。
彼はそのとおりの人生を生き、口を開けばいつもイエス・キリストがいかに私達を愛しているのかを教えてくれました。
イエス・キリストほど人のために、神様のために自分の人生のすべてを捧げた人はいません。
誕生日とは、誰かにお祝いをしてもらう日ではなく、むしろ自分を生んで下さった神様に感謝し、育て助けてくれた周りの人々に感謝をする日だ、と教会で学びました。
イエス・キリストは、神様の愛を伝え、命の尊さを言葉と行いで伝える生き方を、生涯貫いていかれました。
悪口を言われ、誤解され、冤罪で十字架につけられても、恨みごと1つ言わずに最後の最後まで神様の愛を伝えました。
2000年前、日本からは遠い遠いところにいた1人の青年。壮絶な彼の人生が、人類に衝撃を与え、彼は「愛と平和の王」と呼ばれるようになりました。
平成は「戦争のない時代だった」と言われたりしますが、世界では紛争や争いが絶えませんでした。2019年令和元年、今年も様々な痛ましい事件がありました。様々な衝突がありました。
日本に、世界に、「本当の愛と平和」が成される日が、1日も早く来ることを願ってやみません。
神様が愛と平和の世界を成すために送った主人公を、1人でも多くの人が知るようになることを心から願っています。