教会ができることは何か

天運教会の時田こうせいです( ^ω^ )

私たちは縁あって、2年前の2017年に、八王子・北野の地に教会を立てることができました。

教会が立って1年ほど経ったあるとき、近隣の方から「たくさんの人が集まっているし、最初はどんな人たち何だろうと思って正直不安だったけど、1年間見てきて、若くて礼儀正しくキチンとした人達ばかりで、街が明るくなったよ。来てくれて本当に良かった。」と声を掛けて頂きました。

教会の責任者として、涙が出るくらい本当に嬉しかったです。

この地に教会を構え、過ごさせて頂く以上、地域の皆様に「教会が出来て良かった」と思って頂けるように、これからもしっかりと行動していきたいと思います。

私たち教会が社会に対してできることは何でしょうか。ボランティアや経済的な貢献など様々にあると思いますが、1番は「人づくり」だと思っています。子供に限ったことではなく、青少年からお年寄りまで、日本の社会を良くしていく人材を育てる役割を果たしていきたいものです。

「子供たちは誰が育てるのか」という議論があるならば、日本では「親であり各家庭」との答えが主流でしょう。 

家庭による教育格差の問題が叫ばれて久しいですが、最近東大卒の友人が「僕の頃は東大に3浪4浪の貧乏苦学生がいっぱいいたけど、今は希少種になっちゃって、現役合格者がほとんどで帰国子女とか両親が医者でインターナショナルスクール出身とかの子がいっぱいだよ。」と言っていました。

学歴の高い学校に入ることが人生の成功ではないのはもちろんですが、家庭環境によって生じる、子供たちが受けられる教育の格差は深刻な問題だと思います。

今は大学生のほとんどが奨学金を借りていて、その返済のために就職後に自由なチャレンジができないケースもかなり多く目にします。

一方、教育先進国と言われている北欧では「子供は国が育てるもの」と考えられています。だからこそ、教育の無償化が進んでいますし、公立学校の教師も大学院卒業を最低条件としていたりしているそうです。

「子供を育てる責任は親、各家庭」という考えは、思っている以上に日本社会に浸透していて、教会でも子供たちの保育をするときなどは自然と「各家庭ごと」という流れになります。
しかし、私はこの考えを変えたいと考えています。せめて教会では「教会の子供たち、教会に関わる人達は教会のみんなで育てる」ということが当たり前になってほしいと願っています。

私が子供の頃、町内会の結びつきが本当に強くて、上は中学生から下は幼稚園児まで子供たちは大勢で一緒に遊んでいましたし、上の学年の子が下の学年の子を面倒をみるというのは暗黙の了解でした。
地域には必ず怖いおじさんとおばさんがいて、悪ガキだった私はよく親以外の人に叱られたものです。私の母は専業主婦でしたが、友人の親が共働きだったので、よく友人が我が家で一緒にご飯を食べて、風呂まで入っていたことが記憶にあります。

少なくともその当時は「子供は地域みんなで育てる」という雰囲気がありました。

今の社会はどうでしょうか。見て見ぬ振りをしたり、「注意したら自分が変な目で見られるかな」という雰囲気がないでしょうか。そんな社会で、のびのびとした大きな器の人、愛情をたっぷり受けた人が、どれくらい育つでしょうか。

私は教会で、「愛とは関心を持つことだ。愛の反対は無関心だ」と学びました。
だからこそ教会では、お互いに関心を持って、自分の家族のことのように他人の成功を喜び、他人の悲しみを悲しむような、場所で有りたいと思います。そういうコミュニティが教会から地域へ、社会へと広がっていくことを願ってやみません。

まずは教会から。人を育てる上で一番大事な「愛」のある場所に作っていきたいと思います。

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