牧師は信徒たちに、「仕えてもらう」存在なの??

 
ハレルヤ~

 

鄭明析(チョンミョンソク)牧師の故郷、月明洞に行ってきました。
今回は、たくさんボランティアもしたのですが、、

韓国は日本よりとても寒く、私が過ごす間、どんどん寒くなる月明洞。。

マイナス5度~10度という、外ではなかなか活動できない状況が…

 

でも、月明洞はとても広いので、美しく維持するだけでも、やることが多いです。

御子愛の家の掃除を上から下までするだけでも、1日かかります。

多くの人たちが訪れるので、神様の聖殿を美しく保つためには、想像以上に、絶え間ない管理が必要なのだと、今回知りました。

今までは、訪問しても、お客さんのレベルを抜け出せず、月明洞の芝生や、御子愛の家で行われる行事に参加したり、祈ったり、食事をするぐらいでしたが、、

しかし、掃除ひとつでも自ら関わると、細かいところまで、神様がいらっしゃる聖殿を綺麗にしたい!という思いが強くなり、細かいところにも目がいくようになりました。
「主人意識」というものですね。

 

御子愛の家

 

鄭明析牧師は、海外のメンバーたちが月明洞を訪問すると、とても暖かく迎えてくださいます。

少しですが、私もその心を今回分かったような気がします。

遠いところから来るから、今日という時間は、今日しかないからと、惜しみなく時間を出してくださいます。

直接神様の愛を伝えたいから、一人ひとりに時間を出してくださるのです。

言葉で人に指示するのではなく、自ら行われる姿は昔も今も変わりません。

 

弟さんのポンソク牧師に聞いた話では、

『ある時、海外のメンバーたちが月明洞で行われる修養会に参加すると言ったとき、鄭明析牧師が、すごく胸をときめかせながら準備なさっていました。
月明洞で大きな行事をすると、いつも何か新しいものを見せてくださるために、夜通し作業をなさいました。

新しい木を植え、岩を積み、花を買って、岩の造形の上に置いたりもしました。
その姿をみて、「幼稚だ」とある人々は話したりもしましたが、鄭明析牧師の人生は、相手に仕える人生なのです。
もてなしを受け、喜ぶメンバーたちを見て、鄭明析牧師は明るい笑顔で笑って、とても喜んでいらっしゃいました。
行事が終わると、「みんな帰りました」という報告を受けて、初めて休まれました。』

 

 

マタイによる福音書20章27節~28節

「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、 あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。

 

このように、聖書の御言葉を、自ら実践される姿を沢山見せてくださっています。

 
 

「私は言葉より実践だ」
 

という鄭明析牧師の精神を学び、2017年実践の年にふさわしく、私も飛び上がるぞ~!!!

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