聖書ー法則を分かって生きる素晴らしさ

キリスト教福音宣教会 天運教会 青年部男性 摂理

私たちは普段から、必ず法則に従って人生を生きています。
重力に逆らうことはできないし、一睡もせずに生き続けることはできません。
法則を知ることは、言い換えると「人生を上手く生きるための秘訣を知ること」とも言えます。

聖書にはこのような言葉があります。

ヨハネによる福音書8章31〜32節
イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。

まだ御言葉を聞き始めて間もない時、この最後の言葉の意味が全く理解できませんでした(笑)

実際に御言葉=法,真理と言われたりもしますが、幼い時からルールや規則に対して良いイメージがなかったことが影響していると思います。

「今からルールを決めます」と学校の先生に言われた時や、そもそもの校則に関して、「いやもっと自由にやらせてくれよ」と思ったことは皆さん一度ぐらいはあるのではないでしょうか。

まだ幼かったこともありますが、法やルールは自分自身を縛るものであり、自由とは全く無縁の存在だと感じていました。

ただルールがあることで素晴らしく成り立っている良い事例があります。
それがまさにスポーツです。

もしスポーツにルールがなければ無秩序で、何を持って勝敗を決めるのか、その基準がなくなってしまいます。
あれだけ人々が熱狂し感動を受けられるのは、平等に決められたルールの中で全力を尽くすからだと思います。

年齢を重ね、組織を導く経験をしたりする中で、このスポーツと同じ現象は全ての事柄に当てはまることを知るようになりました。

そしてそれは、大きく言えば「人生」も同じだということを学びました。

そこに存在価値が生まれるための明確な基準、ルールの存在がとても大きいことを。

しかし、スポーツや刑事法など、様々なところでそういった話を耳にする一方、人生に対してもルールや法則があることを聞いたことがあるでしょうか。

色んな経験をする中で、「こうしたらこうなるのか」ということに気付いた人は多いと思いますが、恐らく大概の人は聞いたことがないはずですし、かくいう私も全く知りませんでした。

ルールを決める時、それは何か目的があることがほとんどです。ある目的を達成するために必要なルールを設ける、そして守れなかった人と守った人が存在し、どちらも行なった通りに自分に結果が付き纏う。

この目的という部分が、スポーツであれば勝敗を決めるため、法律であれば平和に世の中を運営するためなど、各々違ったりします。

では人生という単位ではどういうルールや法があり、どんな目的のために私たちは生きているのでしょうか。

その答えを教えてくれたのが、今、私が学んでいる「御言葉」でした。

聖書がなぜ何千年もの間、時を経ても今なおベストセラーの書物なのか。そこには物質的発展の有無は関係のない、人々が学ぶべき普遍的な真理があるからです。

誰しもが平等に与えられた一度きりの人生と時間だからこそ、どんな環境で誰から学ぶかで、その人の運命が左右されます。
まさに人間という視点だけにとどまらない、神様の視点で学んでこそ、最も理想的に人生を歩むことができることを知りました。

そして、「どんな目的のために私たちは生きているのか」についても、正しく解けば全てが分かります。

「型破り」という言葉も、あくまで「型」を知っているからこそ突き抜けられるのであって、何が型かも分からなければこの言葉は生まれません。

「個性どおりに生きたい」「幸せに生きたい」と色んな人が仰いますが、その定義を模索する中で人生が終わってしまったという話も聞いたことがあります。

その全てに明確に答え、はっきりとした御言葉の法則を知ることこそ、人生を最も豊かに生きる秘訣だと私は考えます。
そして、その先には誰も否定できない真の平和が成されることを、今なお信じてやみません。

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