ひたすら神様・イエス様

天運教会 キリスト教福音宣教会 摂理 画像

記事を書いた人 Chisa
自分って何のために生きているのだろうって思いながら過ごしていた高校生。
友達に聞いても、先輩に聞いても、先生に聞いても、親に聞いても、誰からも明確な答えももらう事ができませんでした。
受験も終わって時間ができたから、自分について、人生について知りたくて沢山本を探して本を読んでいた時に、人を通して聖書に出会いました。そして大学生から教会に通うようになりました!テニスやバドミントン、写真を取ることが好きです。

目次

先生の生

高校生活を送る中、勉強や部活に打ち込む中で自分は何を目指しているのか、自分とは何か考えるようになりました。日々自分のことを知りたくて、何を目指して生きたらいいのか知りたくて、教えてくれる人やそれについて書かれている本を探しました。そこで尊敬していたお姉さんを通して、先生(鄭明析牧師)が教えてくださった御言葉を学ぶようになりました。

聖書には無縁だったので自分とは関係ないのでは、と思いながら最初聞いていましたが、
自分について、人生について疑問に思っていたことが聖書を通して明快に解かれていくことに非常に驚きました。
また、聖書は一人で読もうとするならばあまりにも難しいです。先生はどうやってこの聖書(御言葉)を学ばれたのか、気になりました。
そこで聞いた先生の人生は、想像を絶する人生でした。

先生は幼い頃から生きることさえ難しい山奥の場所で、食べるのも困難な厳しい生活を送っていました。先生ご自身が何のために生きているのか分からない状況の中にいたと思います。その中、聖書が家に配られ、聖書を読まれるようになりました。
そこで神様、イエス様の心、そして愛を感じられ、もっとイエス様から学びたい、と決心されて修道生活をされます。
ご両親の農作業もお手伝いされながら、山にこもってお祈りをし、聖書を読み続けるそのような生活をされました。

真理を知りたくて、もっとイエス様のことを知りたくて、何日経ったのかも分からないぐらい祈られる生活。食べること寝ることを置いて、人間の生きる目的、真理を求めて過ごされました。
幼い頃から神様の心を受け、家族、民族、世界のためにもたくさん祈られました。
そこで、イエス様から何十年もかけて一つ一つ、学ばれた御言葉。聖書の封印を解いて私たちに教えてくださるようになりました。

その先生のエピソードを聞き、イエス様を愛するとしてもどれだけ愛して、どれだけ真理を知ることに対して切実だったらそのような人生を歩むことができるのだろうか、と衝撃を受けました。
そして先生が教えて下さった御言葉があまりにも私の問題の答えだったから、衝撃を受けました。

ひたすら神様・イエス様

先生はご自身の好きな通りに生きることはしません。ひたすら神様・イエス様が願われていることを行なわれました。
先生はベトナム戦争にも行かなければならなくなりました。戦争に行かず韓国に残って神様が願われる仕事をした方が良いのではないか、と神様に尋ねられましたが、戦争に行かなければならない状況になり、また神様からも先生が戦争に行くことを願われることを分かって、決心され、戦争に行くようになりました。
当たり前のことですが、生きることは簡単ではなく、常に死との恐怖に襲われながら日々過ごされました。

その中で「敵を愛する」イエス様の精神を持って過ごされた先生。戦争中では誰も殺すこともなく、究極的な状況でも、敵も味方も生かしました。まさしくイエス様のように愛と平和を成された方です。そして戦争の中で深く考え、悟られたことが「命の価値」でした。


『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
マタイによる福音書5章43節~48節

たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
マタイによる福音書16章26節

先生はいつも「言葉より実践」です。言葉だけは簡単です。私達も決心し、言葉として残すけれど実践することは非常に難しいです。
しかし、先生はいつも神様・イエス様が仰る御言葉を必ず実践されます。
実践して伝えて下さるから、その御言葉に力と威力があり、力を受け、感動します。

また、先生の故郷である「月明洞」。元々は山奥で電気も水も通らないような何もない場所でした。しかし、神様から構想を受け、「自然聖殿」として開発を成さるようになりました。
今では非常に美しい聖地ですが、イエス様と共に開発された先生の経緯を聞くならばまたしても先生の変わらない信仰と実践に衝撃を受けます。
土地の開発は簡単ではありません。人の手で山を削りながら、人が考えた設計図ではなく神様がくださった構想通りに長い歳月を経て開発を進められました。
心が崩れそうになることが多いのにも関わらず、神様がくださった御言葉を絶対的に思い、諦めず実践されてきた経緯には心を打たれます。

私は2018年に月明洞で先生に初めて直接お会いしました。
その時は大きな松を植える作業があり、先生は神様と対話されながら集中して松の枝の選定と松を植える作業を行われていました。
初めて会った先生を見て、先生はご自身のやりたいように動かれるのではなく、神様イエス様と相談しながら神様が願われていることを行われる方だと改めて確信した時間でした。

最後に、土地の開発は私達にとって遠く感じますが、「自分」という開発は必要です。
自分と向き合い、開発する時に心が折れそうなときもあります。しかし月明洞の経緯を思い出し、何度も崩れたからもっとよい理想的な姿に開発されたように、私自身も沢山崩れながらもっと素敵に自分を作ろう!といつも力と勇気を受けています。

変わらない愛

先生はいつも「ただ神様」であり、「言葉よりも実践」です。
幼いころから今に至るまで、いつもイエス様、神様から学ぶ姿勢は変わりません。先生の天に対する愛、また実践も変わりません。

先生の精神が詰まった詩があります。

「私」
 ひとかけらの瓦に千年の夢を乗せて
 私は毎日希望で櫓を漕いでゆく
 私は言葉より実践だ
 体は小さいが全て理解出来るし
 目は小さいがこの世あの世、全て見通せる
 手と足は鉄杖のようで私の人生に使ってもなお余る
 この体をもって私のために家族のために
 民族のために世界のために天宙のために未練もなく使っていこう
1997年2月2日 主日礼拝


人生をかけていつも私達のため、国のため、世界のために神様の前で膝を折り、切実に祈られる先生です。

そしてイエス様がいつも人々を愛し、平和を成してくださったように、先生もいつも神様の愛で、幼い方からご年配の方まで年齢も関係なくどんな方にも愛で接し仕え、また国境を超えて愛と平和の世界を成して下さいました。
その姿がイエス様の姿と重なります。


愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
コリント第一の手紙 13章4節~7節

先生の今まで行なわれたことを聞いても、どれほど神様、イエス様を愛したらそのような人生を生きられることができるのだろうか、と思うしかありません。
ただ、神様イエス様のために生きて来られた人生です。

真実に神様イエス様を愛して人生を捧げて生きて来られた尊い方、先生に対して現在誤解している方もいらっしゃいます。一度先生が行われてきたことを正しく聞いて、見ていただきたいと思います。

私自身、人生について知りたかったその答えは先生を通してはっきり知るようになりました。そして人生の答えだけでなく、神様の深い愛について知り、自分の価値を悟りました。
そして御言葉を行うことでもっと自分の個性が分かるようになりました。
一度しかない人生、神様イエス様に会えるようにしてくださり、御言葉に出会えるようにしてくださった先生に本当に感謝いたします。

イエス様から人生をかけて学んで実践し、愛と平和を成してこられた先生。
私もイエス様、先生からこれからも沢山学んで先生のような素敵な人生を生きたいです。

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