記事作成者 midori 埼玉在住
看護師。人に愛を与えられる人になることが夢でした。摂理の教会に通って15年目。
何年か前にわたしが実家に帰省した時の話
空港まで迎えにきてくれた母といっしょに車に乗っていた。
ふと母が「あなたは幸せ?」と聞いてきた。
「うん、幸せだよ」とわたしはすぐに答えた。
「どうして幸せだと思うの?」
「うーん、人生生きる意味を知って生きてるから」
母とこんな会話をした。
何のために生きるのか、人生を生きる意味を教会で教えてもらったと伝えた。
「それまでの人生は本当はつらかったんだよ・・」と本当の話をした。
しばらくして、むすめが10代のころから親の言うことも聞かず、いわゆる非行気味だったことを母も思い出してきたらしかった。
「あんたこうだったもんね・・」
「育て直してくれたんだね」「感謝しないとね」
そういう会話をした。
むすめを育て直し、幸せな人生にしてくれた牧師先生(鄭明析先生)。
それはむすめがよく変化した姿をみて母が素直に感じたことらしい。
疑っていた母も、今は牧師先生のことを尊敬し、御言葉を教えて欲しいと言っている。
どんな実を実らせるのか、実をみたら木がわかると聖書にあるように、
わたしがどんな実をつけたのかを見てくれた。
教会との出会い
わたしがどうして摂理の教会と出会ったかというと、兄が先に通っていてこんなことを聞かれてから。
「人生生きる意味は知ってる?死んだらどうなると思う?」
わたしは「知らない」と答え、「知りたい?」と聞かれたので、「知りたい」と答えた。
そこから、みことば(聖書の話)を聞くようになった。
みことばはすごく良いものだと感じはしたが、わたしはそんな生き方はしたくないというのが正直な気持ちだった。(自堕落な人生でいいと思っていた)
そうしてわたしは、みことばを聞きながらも、自分の好きなように生きていた。しかし何をしても虚しく、満たされず、このまま自分の力で生きてもわたしは全く幸せにはなれそうにない・・と、自ら悟った。
聖書の話を聞いてわたしに起きた変化
「わたしは幸せになれそうにない・・」と、喫茶店という感じのちょっと古いカフェで兄に話したことを覚えている。
「僕は永遠に幸せな自信がある」とさらっと返された。
うそでもいいから、わたしも幸せだと言えるようになりたい、そう思った。
そこからわたしはまじめに、みことばを聞くようになった。ちゃんと聞いて、教えられたことをやってみようと決心した。
兄が持っていて、わたしが持っていないもの。それは容姿でもお金でも恋人でもなく、真理のみことばだと思ったから。
1つ1つ、みことばを受け入れ、実践するようになってから、わたしに変化が起きていった。
健康的な生活はもちろん、やっつけ仕事のようにしていた看護師の仕事も、患者さんをキリストのように愛することに挑戦してみるようになった。
何より、人生生きる意味をみつけ、自分の価値を取り戻し、自分を愛せるようになった。そしたら人も愛せるようになった。
今までの人生は何だったんだろうかと思うほど、本当の人生が始まった。
みことばは、ちゃんと学ばないと、宝がみつけられず、わからないと思う。
そして、世の中の学問ではないのだから、誰から学ぶのかが大切。わたしは先生から、聖書の話を学んで本当によかったと心から思う。
先生(鄭明析牧師)をなぜ信じられるか?
人を信じることってとても難しいと思う。人は完全ではないし、間違うこともあるし、自分の期待通りにしてくれないと失望もしてしまうから。
でもなぜ信じられたのだろう・・それはやはり先生が神様の言葉通りに生きているからだと思う。
先生が10年間獄に入られていた時、ずっとわたしたちに、みことばを送って下さったことは忘れられない。
わたしはその時、精神科の看護師として働いており、獄のような閉じ込められた部屋で治療している患者さんたちのケアをしていた。人は閉じ込められた部屋にずっと長くいると、もっと精神が病んでいくし、拘禁反応と言って叫んだり不穏になることもある。
しかし先生は10年間、あまりにも美しく、正しいみことばを送って下さった。奇跡だった。
そしてどんなに誤解され侮辱されても、罪人のように扱われても、誰のことも責めず、むしろわたしたちのために祈って下さった。かっこよかった。
最後に、わたしは結構人に失望もしちゃうタイプで、人を信じることも簡単ではない人だと思う。
そんなわたしが14年間失望せず、むしろもっと信じて尊敬していることはすごいことだ。
そして間違いなく、わたしの人生はよくなった。
これからもわたしは先生から、みことばを学んでもっと成長して生きていきたい。