「命が生きている」ということの奇跡

ハレルヤ!

 

今日も1日、無事に始められることに感謝します。

 

今朝、夜明けのお祈りを教会でして、帰るときに、車と接触しそうになりました。

事なきを得ましたが、動悸が、、

 

自分の命が守られているのは、ひたすら神様が守ってくださっているということを改めて感じ、感謝感激した朝でした。

 

神様は最大限保護してくださいますが、本当に自分の命は自分が守らないといけません。

 

神様が人間に与えた最高のプレゼントは、「自由意志」「自己の決定権」だと鄭明析(チョンミョンソク)牧師は教えてくださいました。

神様は、私たち人間を愛するから創造されたので、人間は神様のロボットではないのです。

ロボットではない代わりに、それに伴う責任も生じるということです。

 

 

最近、御言葉を聞いている新社会人の男性がいるのですが、御言葉を聞いて悟ったことがあると証してくれました。

彼は、学生の時に、車を運転していて、事故を起こしたのですが、ブレーキを踏むところを、なぜかアクセルを踏んで、九死に一生を得たそうです。

車はぐしゃぐしゃで、廃車になりましたが、彼自身は無傷で済んだとのことでした。

なぜアクセルを踏んだのか、まったく分からなかったので、運がいいとしかその時は思わなかったのですが、御言葉を聞いたときに、

 

「自分は神様の愛で生かされたのだ!」

 

ということを悟ったそうです。

 

 

鄭明析牧師も、ベトナム戦争に2度も派兵され、何度も死ぬ目に遭いながら、生きて帰ってこられました。

 

ベトナム戦争の時、絶対助からない状況と場所で神様が共にして助けてくださった事を、数十回以上、直接この身をもって経験しました。

誰よりもそのような境遇にあって、時には神様のことを恨んだ事もあるし、私に罪が多くてこうなのかと思った事もありますが、神様の御心がありました。

 

主の愛は、死ぬ目に遭ったことがある人、死ぬ苦痛を味わった事のある人だけが、もっとはっきり分かるようになります。

私一人に教えて、モデルとしてこの事を話してくださることで、私たち摂理史の全ての人たちも、過去の死の場所で助けてくださった神様と主を悟るようになったし、患難と苦痛の中で聖三位が一層共にする事を切実に分かるようになったし、その恵みにお返ししていけるように、感謝して生きるようになりました。

この大きな恵みを悟れず、恵みを知らないで生きたなら、人としてあるまじき人間になったでしょう。

 

それだけでなく、歴史のために準備する期間に、山で祈った時も、過酷な寒さと飢えで耐え難い環境の中で苦痛を味わう瞬間にも、主は御自ら現れて慰めて下さり、御言葉を教えて下さり、人生を教えて下さり、「私と一緒に人生を救う仕事をしよう」とおっしゃいました。

そうする中で昼には伝道して回りました。

苦痛の中で主は更に共にして下さり、慰めて下さり、大きい仕事を任せ、働きかけて下さいました。』

 

 

神様の愛なしに生かされている命は、地球上息をしている者の中で1人もいません。

でも、その愛に、今まで気づかなかったのです。

その愛を教えてくださったことに感謝します。

 

 

死ぬしかなかった命が、神様によって生かされたから、もう自分の命ではなく、神様のために生きていくと天の前で告白します。

 

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