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天運教会-ヘブンズフォーチュンチャーチ

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2020.5.25

盆栽とヘブンズ・フォーチュン・チャーチ

皆さんは、「盆栽」というと、どんなイメージをお持ちですか?

サザエさんに出てくる波平さんに象徴するように、年配の男性が好む趣味とイメージする方も多いかもしれません。

しかし、近年ではお花を使ったものや、オリーブなど海外の木を使ったもの、実を楽しむ盆栽も登場し、若い女性や筋肉マッチョのスポーツ選手など、幅広い人たちに人気のようです。

海外でも日本の盆栽はものすごい人気で、日本の盆栽園に海外から買い付けに来る方も多かったり、海外に支店を出す盆栽園もあると聞いたことがあります。

そう、そして、私達の教会にも、盆栽があるんです!

「え?キリスト教の教会に、盆栽!?」「『チャーチ』っていうんだから、オリーブとかの作品?」と思われるかもしれませんが、ちょっとまつ、た!・・・そう、じつは素敵な「松」の作品なのです。

松といえば、「松竹梅」というように、縁起の良い、品のある木として、日本ではとても愛されていますよね。 

古くは万葉の時代(1300年ほど前の飛鳥時代)から親しまれているらしく、語源には諸説あるそうですが、漢字の当て字で「待つ」から来ているという説が有力だそうです。

「神の降臨を『待つ』」というところから来ていて、このことから、神聖な木であることを意味するのだそうです。

この「松」、冬でも青々とした葉を付ける常緑樹であるため、不老長寿の象徴ともされています。

教会ではクリスマスに「もみの木」を飾りますが、これも常緑樹であり、変わらない信仰や愛の象徴でもあります。

「松」と「もみの木」。西洋と東洋で、身近な植物や生活習慣が違うという背景はあるとしても、神様を思う心や、神様が造られた万物を通して何かを伝えようとする心は同じなのですね。

意味としても、教会に松の木があるのはしっくりきますが、実際に松の木を置くだけでグッと引き締まるといいますか、松の良い香りのように神聖な雰囲気が漂います。

盆栽を置く意味として、神様が造られた大自然の世界を、私達の日常の部屋に持ってくるということに意味があるそうです。

神様が造られた壮大で神秘的な自然、人間の力を超えた圧倒的な自然を見ると、大きな感動を受けますよね。

盆栽は小さな1本の木ですが、見る時にはそこに凝縮された大自然をイメージして見たり、神様の大きな自然の中で生きる小さな自分に重ね合わせて見てみると、1本の木を通してまったく違うものが感じられます。

私達の教会にある松の作品は、樹齢150年の赤松。長野の山から採取したと推測されています。

普通の木ですと「年輪」と言って、木の太さでその木が生きてきた歳月の重みが出てくるのですが、盆栽は幹が太りづらい性質がありますから、何層にも重なる幹の肌の様子がその木の経てきた歳月を表し、特に赤松は木肌に赤みが帯びているほど古木の象徴で美しいとされています。

ちなみに赤松は女性の松、黒松は男性の松とも言われるそうなのですが、この作品は全体の形象が女性が手を広げたような枝ぶりをしていて、まさに美しい女性のような姿だと言えるのではないでしょうか。

そして、私がイチオシの最大の魅力が、なんと言っても「根張り」です。

風雪に耐え、山という岩石の多い厳しい環境でもしっかりと根を張って生きてきた生命力が、根っこの力強さに現れています。

私の師事する牧師先生も、松や木の作品をたくさん育てる園芸の分野でも専門家なんですが、木の根っこは、人間で言うならば精神や考えと同じだとおっしゃいました。

木がしっかりと根を張ってこそ倒れずに立つように、人間も精神や思想がしっかりしていなければならない、ということです。

私も教会にあるこの松の木を見ると、「困難なことがあっても精神をしっかりしなさい」「あなたも粘りが大事だ」と語りかけてくれている気がするのです。

この素敵な松の作品なんですが、とても繊細です。

私達素人だけでは管理と維持が難しく、現在はこの盆栽を管理して下さっている、埼玉の有名な盆栽園さんで、さらに素敵になるためにお化粧をして頂いています。

木も頑張って装っていますから、私たちももう少し自分を素敵に作って、また会える日を待ちたいと思います。

ちなみにこの盆栽園さんがある街は、本当に地名が「盆栽町」というんですが、日本の有名な盆栽園がたくさんあって、実際にどの家にも盆栽がありました。

この街の小学校では、1年生の時に1本の盆栽をつくり、6年間育てて卒業するときに自分の盆栽の作品と一緒に卒業するんだそうです。

木を育てることによって、命の大切さや自然の尊さを教えているんだそうです。

とても素敵な教育だなと感動しました。

余談になりますが、私が生まれ育った場所に1本の「グミの木」が生えていたのですが、両親いわく、私が生まれた時に生えてきた「同じ年」の木だったんだそうです。

両親に「あなたの木」と言われていたこともありますが、初夏にはグミの実をたくさん食べたり、木登りをしたり、思い出が沢山あって、同い年のそのグミの木には特別な愛着がありました。

その後我が家は引っ越し、その地域が開発されてグミの木は今はなくなってしまいましたが、今でもグミの木を見るとその木を思い出します。

木と共に生きる、というのは素敵なことですよね。

私は、木だけではなく、そこに神様がいらっしゃるからじゃないかな、と思います。

木はいつかは切られ、枯れ、なくなりますが、思い出と経緯は消えません。

大きな人物が愛した木、戦争や災害から生き残った木、村中の人に愛されて多くの子供達が登った木・・・。

盆栽や木を見る時に大事なのは、その木の「ヒストリー」を知ることだと聞きました。

木にも経緯があるように、人には様々な経緯があります。

人が自分の力や努力で生きてきたと思っても、木を人が育てるように、神様が人や環境を通して私達に水や肥料をくれて育ててくださり、全ての経緯に神様が共にして下さっていました。

見える盆栽を通して、見えない大自然を見ることが重要なように、見える私達の人生を通して、見えない大きな神様を見る努力が必要ではないでしょうか。

盆栽も、ただ木としてみると何も感じられませんが、盆栽を通して大自然を創造され、私達に命を下さった神様を考えると、まるで生きている人かのように、木を通して神様がその時その時語りかけてくれる言葉があります。

盆栽の作品も同じものはなく、1本1本が貴重なように、人間も個性通りに1人1人が本当に貴重です。

木も持って生まれたものもありますが、装ってこそ作品の木となるように、私達も価値を分かって装ってこそ、作品となります。

木も、自分も、人の命の貴重さを分かって、大切にし、素敵に作っていく私達になっていきたいと思います。

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